愛の定義

というわけで、某友人がブログに書いていたので乗ってみる。

僕にとって愛とは「来年7月に就職が決まる迄、我慢するもの」という定義です。

さて、今回書くのは母親との話。

実家暮らしですが、ごくたまに母親にメールをします。
丁度今朝、長文のメールをしました。

ここしばらくは
いい歳をして
学生していて
しっかり勉強もせず
実家暮らしで
何かと立場が弱い分
色々と小言を言われる生活であります。

「息子が就職できるのか」
「長男がしっかり働いてくれるのか」
考えても仕方がないけれども、
親として不安な部分もあるわけで、
意図せずに、小言も言いたくなると。
そんな感じで、たびたび、何か言われる訳です。

親の気持ちはわかっていても、
もちろん、時には、いろいろと言われて、流石に手一杯なこともあります。
これまでは幾度となく、
切れたり、どなったりもしていましたが、
最近は知恵を付け
適度にメールで、考えている事を伝えるようにもしています。

「不束な息子ですが、一応、人生プランも真面目に考えていますよ」
という感じで敬語でメールをする訳です。

そういえば、
この夏の課外活動を、
某新聞の社説に取り上げて頂いただきましたが、
個人的には、
団体の宣伝効果とか、
社会発信とかいうことよりも、
「あ、息子も頑張っているのか」と納得してくれ、
親の小言が減ったというか
何も言わなくなってくれたことの方が
兎に角、社説効果を実感し、嬉しかったですw
ちなみに、父親は芸術家の自由人なので、もともと何も言いません。

たまにしか、メールをしない分、結構長く言いたい事を不躾に書きますが、
そんなメールでも、いつも「わかりました。頑張ってください。」という返信をくれるのは素直に嬉しいです。

親に愛してもらっているからなのでしょう。
てか、おかん、ごめん。流石に就職するよ。。

まあ、定義にもなっていませんが、そんな気持ちです。

そんなわけなので、
この春はしっかりサクッと就職を決め、

来年の夏は、
実家には終電で寝るために
帰るだけの生活をして
流石に恋愛します。