都の西北 大学1、2年の頃

一昨日、久しぶりに早稲田に行ってきた。某有人に誘ってもらって、中国政治のシンポジウムを見学しに。

大学1、2年時代。某演劇サークルに参加していたので、早稲田にはよく通った。駒場よりよく行っていたか。いや同じくらい。もう5年前か。。。

さて、
早稲田周辺は、新しい建物が増え、どことなく奇麗になっている感じが寂しかった。大学受験の時期だから、学校の規制の為に演劇の看板は掲示されていなかったけれども、何気なく入った飲食店に演劇のチラシが置いてあって、昔、自分も置かしてもらうように飲食店をお願いして回ったな〜と懐かしくなった。


ここに来て改めて「演劇ではないステージへ僕はいくさ。でもこの町は僕の原点だな〜ありがとう〜」
って感慨に耽ったのは、

もはや何年前だっけ???
相変わらず学生をやっている。汗。。。

あの、早稲田の演劇界の、
(大学だけでなく、本当に色んな人がいた)
あの、どうしようも無く、暑苦しさ。
某運動部の比べて数百倍は強かったガチガチの精神論。
思い込みの塊のような男と女。
劇場ならぬ、激情。
めちゃくちゃ不器用で、
口を開けると罵声か、ため息か、悪口ばかり。
大学1、2年って
みんなそんなもんかな。

辛い想い出しかないけれども、
いろんな人に出会えたし、夢は見れた
てか、夢しかなかった。
楽しかったな。たぶん。ある程度は。

怒られたし、
てか、よく怒鳴られた。
もちろん、大学3年以降に演劇辞めて
駒場を拠点にするようになってからも怒られたりはするんだけれども、
「死ね」とか
「お前みたいな最低な人間は見た事が無い」とか言われた事はないはず。
流石に。特に女子から。苦笑。

いまの環境は、サークルの代表と副代表が怒鳴り合ったとかでニュースになるくらいだから、そういう意味でうちの大学はつくづく平和なんだなと思う。

(いまでも充分子供だけれども、それにしても)
大学1、2年のときは、本当に本当に幼くて、
子供でどうしようもなかったと思うので、
怒られたのは環境以前に、自分の責任なんだ。実際は。

でも、それくらいみんな怒鳴り合う
兎に角、本気で、
熱くるしいだけの時期が
僕の10代の最後の日々だった。
全てを投げ捨ててでも、やるっていうか。雑草魂というか。
「演劇したいの?」
「じゃあ、大学いつ辞めるの?」
みたいな。馬鹿ばかりの空気が好きだったな。
(結局は、辞めない人の方が多いんだけれどもさ)(てか、親に支えて学費出しってもらっているのだから、辞めるなよって話なんだけど。いまにして思えば。)

で、懐かしくなって名前を検索してみると、
今でも演劇を続けている人は確かにいて、
そういう人の名前は、公演のHPがあるから、しっかりとヒットする訳。
落ち着いたら公演でも見に行くかな。

強引にまとめてみると、

英語出来なくても、
ドイツ語出来なくても、
いいけど、
馬鹿さを忘れたら駄目だってこと。
あの頃の馬鹿さを忘れたら、もう生きている意味ないなってこと。
まあ、なんというか、現実逃避はそれくらいにして勉強しないとな〜って話。
では。